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法話

理解力を養う 1 理解力とは

先月は理解について、相手を理解したり、自分の仕事を理解することの大切さをお話し致しました。続きのお話です。

真実を理解できない

真実を理解できないために、相手を傷つけまた自分をも傷つけてしまうことがあります。 この真実は真理といってもいいかもしれません。

ガリレオ(1546〜1642)というイタリア・ルネッサンスの代表的な科学者がいました。
日本で言えば、室町から桃山時代にかけて活躍した人です。

ガリレオはイタリアのピサに生まれましたが、彼を有名したのは地動説(地球は太陽のまわりを回転しているという説)を実証したことでした。

自分が製作した望遠鏡で、天体を観測し、100年ほど前にでたポーランドの天文学者、コペルニクスが発見した地動説を裏づけたのです。

コペルニクスは「天球の回転について」という本を著したのですが、 当時の教会の天動説(地球が宇宙の中心で静止し、天がまわっているという説)に反対することをためらい、 彼の死の直前に、この本は世に出たと言われています。

ガリレオは、そのコペルニクスの地動説をさまざまな観測で調べ、「地球が動いている」と結論づけ、 それを『天文対話』という本に著したのです。

そのために当時ガリレオは宗教裁判にかけられ、有罪となり、辛い晩年を過ごしています。

ガリレオから400年ほどたった今では、地球が動いているというのは常識で、みな知っていることです。

でも、今でも普通の暮らしをして朝起き、夜寝るという生活のなかでは、
実際に朝になれば太陽が東からでて、夕方には西に沈みますから、太陽が動いているように見えます。
それを地球が動いていると実証したガリレオは優れた人であると思います。

今の科学では回転する速さも分かっています。
地球は1秒間に太陽の周りを29.8キロメートルの速さでまわっています。
音速の88倍の速さです。

ちなみに地球で一番速い乗り物であるスペースシャトルは1秒間に0.8キロメートルの速さです。

地球自身も回転しています。1秒間に465メートルの速さです。
新幹線のぞみが1秒間に83メートルですから、約6倍の速さで地球自身が回転しているのです。

こんなに速くまわっているのに、地球という乗物に乗っている感じがしないのは不思議なくらいです。

アインシュタインが、
「遠い将来、ごく普通の人の知力がガリレオの知力よりも、
すぐれているという時代がくるかもしれない」
と言っていますが、
現代の私たちはガリレオの時代よりも、多くのことを知り理解しているといえます。

さらに科学の発展によって、知らない世界のことが明らかになってくるでしょう。
このようなすぐれた科学者によって真実が発見され、それを学ぶことで、さまざまなことを理解できるようになります。

でもガリレオは真実を述べているのに、当時有罪になり、
フィレンツェの郊外に軟禁され、晩年は失明し、
死後も一門の墓地に埋葬されることも許されなかったそうです。

当時の人びとは真実を理解できないがゆえに、ガリレオは罪人となりました。

真実を知っているか知らないかというのは大事なことで、
1人が真実を知って述べていても、99人が知らなくて「そうではない」と言っていれば、
真実は消えてしまい、そのとき多くの人が不幸になっていくこともあるかもしれません。

無明(むみょう)ということ

知らない人びとに真実を伝え広げていくのは大変なことだと思います。 昔、お釈迦様もイエス様も、大変な思いをして、真実を広げていったことを改めて感じます。

仏教的には、真実を真理と呼びますが、その真理を知らない、理解できないことを無明(むみょう)という言葉で表しています。

その無明を打ち破り、明かりがついた状態を智慧(ちえ)と呼んでいいます。

未熟ではありますが、その無明を脱する一つの手段として、この『法愛』もあります。
人生を生きる正しい指針を、お釈迦様の教えを基本に、現代でも分かりやすいように説いているわけです。

たとえば、この『法愛』の中では、明確にあの世のことを語っています。

中には知名度のあるお坊さんが
「あの世はあるのですか。そろそろ死の準備をしなくては」という質問に、
「私にはあの世があるかないか分からない」と答えたり、
有名な尼僧さんが同じように
「あの世はあるのですか、極楽や地獄はあるのですか」と問われて、
「そんなとき私は困り切ってしまう。あの世があるかないかなど、
口はばったいことを言えるわけはない」
などと答えています。

宗教家があの世のことを答えられないのは、無明によります。
真理を知らないからです。

一般の方々に真理を伝える側の人が答えられないでは、無明の闇が宗教家にも押し寄せていることになります。

死に対して不安を抱いている方々に、
「死の不安をどう取り去ればよいのか、そしてこの今をどう生きればよいのか」
ということを伝えることができないでいます。

教えを学び、智慧を蓄えていくことの大切さを思います。

人として生きる基本的な知識

注意することは相手を理解するというのは、相手のいうなりになるということではありません。 相手を理解することが、私も相手も幸せになっていける、という理解力です。

そのためにまずは、常識であるとか一般的な知識を身につけることが大事になってきます。 「何が正しいことであるか」を、常日頃から学び理解していくわけです。

それが体験にまで昇華(しょうか)され、自分のものになっていったとき、
智慧に変わってくるのです。

それを自分一人で考え出していくのは難しいことなので、私たちは歴史や賢者といわれる人に学ぶわけです。

仏教徒であれば、お釈迦様の教えを自分の生き方に取り入れ、さまざまなことを体験しながら、 その中で出会った苦しみや悩みを解決し、幸せになっていくのです。

人としての基本的な知識として、ある方の遺言から学んでみます。

それはある男性の方ですが、小学6年生のころ、おじいさんに呼ばれて、遺言を言い渡されたのです。

お父さんが戦死し、
この子が家の跡取りとして頑張って行かなくてはならなかったからです。

おじいさんはいいました。

遺言というのは私が死んでから開くものだが、お前の父親もいないし、
生きているうちに私の本心を伝えておくのがよいと思って話をする。

一、お金は小さく稼ぎ、家計の無駄を省(はぶ)くこと。
一、人の悪口は慎み、隠れた良さに学ぶこと。
一、夫婦は和合、円満がなにより大切。そして笑顔が一番。
一、先祖を敬い、善行を尊び、それを子孫に受け継いでいくこと。

このことをよく守って、誠実に生きることだ。

(産経新聞 平成15年8月12日掲載)

この時6年生であった男性も今は60才を過ぎ、ようやくおじいさんの真意を理解し、
実践できるようになったと語っています。

これは人として生きるための指針で、この考えをよく理解し、実践していくことで、
幸せな人生を手に入れることができるわけです。学ぶベき遺言だと思います。

(つづく)