法話
命、終わる時は楽しい 5 最後の言葉を残す
旅支度ができたならば、最期には心のこもった言葉を置いて次の世に旅立っていくのです。
心のこもった言葉をみんなの心のポッケにいれてあげて、去っていくのです。
ああ、いい人生であった。
みんなのおかげでいい人生を送られた。ありがとう。
命終わる時はなんと楽しいことであろう
と言えれば、と思います。
拙著『精いっぱい生きよう そして あの世も信じよう』の112ページに「旅立ちの祈り」があります。参考にしてください。
言葉を残せばそれにこしたことはありませんが、できなければ、日ごろの生き方を残していく方法もあります。生き方が言葉になるのです。あるおじいさんの葬儀をしたとき、息子さんが謝辞で、
私の父は目が不自由になって20年近くなりますが、
それで愚痴をこぼしたことは一度もありませんでした。
「おれはこうしてラジオが聞ける。それだけでありがたい」
と言っていました
と、涙をこぼしながら挨拶をしていたのを、忘れないでいます。
これが生き方から残した最期のおじいさんの言葉かもしれません。
優れた最期の言葉だと思います。
ちなみに私の父も、私に最期の言葉を残してくれました。
父はあまり手紙を書かない人でしたが、私が大学生の頃、一通の手紙をくれました。便せん一枚に大きな字で、こんなことが書かれていました。
人間は人間らしく らしく生きれば 何事もよし
この言葉を私に書いてくれて、一年ほどして亡くなってしまいました。
ですから、私にとっては父からいただいた最期の言葉になります。
手紙に書くのも一つの方法です。
人としてらしく生きるとはどういうことかですが、私たち人間は仏の心、仏心(ぶっしん)を頂いて生まれてきました。 ですから、この仏心をどう育て活かして生きていくかが、人としてらしく生きることになります。
この仏心を育てる一つの方法が、福徳を培う3つの方法と重なっているのではないかと思っています。
小学校の頃、明日が遠足の時、明日が来るのが待ち遠しくて、その夜はなかなか眠られなかったことを覚えていますが、 最期を迎えたときにも、そんな思いであの世(次の世)へ去っていければと思います。
「命終わる時は楽しい」そう言えるように、今を大切に生きていきましょう。
善を積み、人の痛みが分かり、そしてありがとうの言葉を忘れない。
そんな生き方を心がけ生きていきましょう。
そして、あの世で再会した時にも、どうぞこの『法愛』を読んでください。