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法話

命、終わる時は楽しい 1 命、終わる時

今回から3回ほど、「命、終わる時は楽しい」というテーマでお話をしてみたいと思います。

賢者の言葉

「命、終わる時は楽しい」というテーマの出どころは、お釈迦様の言葉をまとめた『感興のことば』(中村元訳・岩波文庫)の中に、

 善いことをしておけば、命終わるときに楽しい

という言葉があって、ここからこのテーマが出ています。

またギリシャの哲学者プラトンが著した『ソクラテスの弁明』の中にも、ソクラテスが、「ひょっとすると、死は人間にとっていっさいの善いもののうち、最大のものかもしれない」と言っているところがあります。

私にとってはとても気になるところで、お釈迦様の教えと似ているところがあって、この賢者の言葉をふまえ、私なりに今回のテーマを考えてゆきたいと思います。

命終わる時は恐ろしい

実際に自分のこととして考えてみると、命終わる時は誰しもが怖いと思います。命が終わる時が楽しいなどと言えるものではありません。

この1月15日(2009年)に、ニューヨークのマンハッタンを流れているハドソン川に飛行機が緊急着水をし、155名の乗客がみな奇跡的に助かりました。今では、「ハドソン川の奇跡」と言われています。

このとき乗客の皆さんは、どんなに恐ろしい思いをしたことでしょう。おそらく、死を覚悟した人もいたでしょう。原因はエンジンに鳥が巻き込まれたようですが、普通であったなら墜落していたかもしれません。

思い出す墜落事故といえば、今から23年前、1985年の8月12日に起こった日航機墜落事件です。

「上を向いて歩こう」などのヒット曲がある歌手の坂本九さんが乗っていて帰らぬ人となったのは、つい最近のような気もします。タレントの明石家さんまさんも搭乗する予定であったといいますから、どこで死が待ち受けているか分からないものです。

当時12歳だった川上慶子さんが奇跡的に助けられ、それをインターネットで検索すると、当時の様子が画面に映し出されて、墜落の悲惨さを思い出します。彼女はこの経験を忘れず、「人の命を助けたい」と看護師になったのは立派だなあと思います。

中には遺言をメモして亡くなった方もいます。

 どうか仲良く頑張って生きてくれ。
飛行機はまわりながら急速に降下中だ。
本当に今迄、幸せな人生だったと感謝している

と家族のみんなに書いた遺書がありました。この人は死んでしまいましたが、家族の方々も、苦しいほどに別れの悲しみを思ったことでしょう。

このような墜落の現状を調べ直してみると、改めて死の怖さを思います。

避けがたい突然の事故で死ぬ場合もありますが、これは例外で、多くの人は家や病院で亡くなっていきます。

死は怖いものですが、飛行機の墜落事故でも、「幸せな人生であった」と言って空に散っていけるのですから、ましてや、家族に見守られ亡くなっていかれる人も、みな「いい人生で、楽しく幸せであった」といえるよう、亡くなっていけたらと思うのです。

42.195kmの人生

女子マラソンで活躍した高橋尚子さんが、昨年(2008年)の10月18日引退会見をして、23年間のマラソン人生に終止符を打ちました。

不思議とみんなに愛されて、3月8日の名古屋マラソンでは感謝の走りをしました。

高橋さんの「あきらめなければ夢はかなう」とか、座右の銘である「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」という言葉は、多くの人の生きる力になっていると思われます。

マラソンは42.195kmの距離を走り、勝敗をきめるのですが、この42.195kmを私たちの一生と考えると、どうでしょう。

スタートしたときが、この世に生れてきたときで、ゴールを切ったとき、この世とのお別れになります。

42.195kmの人生では、苦しいこともありましょうし、何か大切なものを発見することもあるでしょう。

高橋尚子さんは、マラソンをするなかで、「夢を持ち続けることの大切さ、支えてくれる人たちの大切さ、一つのことに一生懸命打ち込むことの大切さ、一日一日を全力投球することの大切さを学んだ」といいます。

シドニー五輪(2000年)の女子マラソンでは金メダルを取り、走り抜けた感想を聞かれると「すごく楽しい42kmでした」と言っていました。
これも、42.195kmの人生にたとえれば、「すごく楽しい、一生でした」になります。

この3月8日に行なわれた名古屋国際女子マラソンでも、「沿道の皆さんの笑顔が花のように見え、走り終えてしまうのがもったいなくて、残り10kmは『ありがとう』とつぶやき続けていました」と言っていました。
人生でも、「今までいろいろな人の笑顔の花に囲まれて、もう少し生きていたいけれど、かなわぬものなら、みんなにありがとうと呟きながら目を閉じたい」になりましょう。

42.195kmを走り終えても、高橋尚子さんは死んだのでなく生きていて、さらにマラソンの楽しさを伝えていきたいと言っています。

人生でも同じで、この人生を終えても、あの世という別の世界で、自分の生き方を多くの人に伝えていくことができると考えたほうが、どうもこの世をしっかり生きられるような気がするのです。

死と生を繰り返している私たち

42.195kmを人生にあてはめて考えてみましたが、このように人生を考えていくと、私たちは人生の中で、生と死を何度も繰り返して生きているといえます。

短い時間の流れから、考えていきます。

朝起きると朝食をとります。それを生と死に当てはめると、「頂きます」といって食べ始めるのが、朝食の場に生まれたことになります。時間としては10分から30分程度のものですが、その時間内で、美味しくいただき、頂いたら「ごちそうさまでした」と食事を終えます。

そのときは、朝食に対しては死を迎えたことになります。そして次に会社へいくために準備をし、会社に着けば、そこに生まれることになります。会社の仕事を終えて、会社を出れば死を迎えます。

一日一生という言葉がありますが、これは一日を一生と考えるわけです。朝起きると、4月20日であれば、その日に生まれたことになります。その日が無事終わって、床につけば、4月20日の夜に、死を迎えるわけです。

あるいはお正月がくれば、今年平成21年に生まれるわけです。さまざまな出来事があったり、四季のめぐりの中に多くの学びをして、やがて12月31日がきて除夜の鐘が鳴るころ、一年の終わり(死)を迎えます。

もう少し、長い時間で考えれば、こうなりましょうか。

私は若いころ3年ほど禅の修行道場へ行きました。そのときは修行道場に生まれたことになります。そして3年という寿命を生きて、修行を終え、道場を出たとき死を迎えます。

その時の心がまえは、道場を出たときには、檀家のみなさんに恥ずかしくないような坊さんになっていなくてはと思い、道場で修行をするわけです。

この世も修行の場であると仏教ではいいますが、この世に生れてきて、この世という道場で修行をし、たとえば80年生きれば、80年の修行を終えて、死を頂戴することになります。

このように考えてくると、私たちは生と死をいつも繰り返しなら生きていることになるのです。赤ちゃんで生まれ老いて死ぬというのが生と死ではなく、繰り返し繰り返し生と死の中で生きているのです。

このとき気づくことは、生があって死を迎えたときに、全く自分が無に帰してしまうのでなく、死の次には必ず生があって、新しい体験を積んでいくということです。

食事を終われば、仕事があり、仕事を終えれば、車や電車に乗って家に帰る。帰ればその家に生まれ、夕食を取り、一日が終われば、その日に死にます。死ぬけれども、また明日生まれるわけです。

これは一生を考えるうえで、大切な発見につながっていきます。実際の肉体の死を迎えても、次の世があって、そこでまた新たな生活が始まることを意味しているのです。

(つづく)