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法話

心の食事と良き人生 4 「幸せの味」

忘れてしまう幸せ

今まで人生の定食として、苦しみの味ついてお話してきました。次に、幸せの味について考えてみます。

幸せには、忘れてしまう幸せと、ずっと心に残って忘れない幸せがあります。そのことをまず知っておくことです。心の食事を作るための食材として、持っていることです。

忘れてしまう幸せとは、何でしょう。

年を取ってくると、昨日、夕飯に食べはものをすぐ思い出せないときがあります。夕飯に食べた食事は確かに美味しく、食べている時には幸せであったのに、一晩寝ると、何を食べたか思い出せなくなります。

ましてや一週間前に食べた夕飯のおかずを思い出せる人は少ないでしょう。その時は確かに幸せであったのに、忘れてしまう。

新しい車を買って、初めは嬉しくてたまらなく、大切に乗っていた。それが半年もすると、泥がついたり、不注意で傷をつけてしまったりする。すると、初めて乗った時の幸せ感も、かなり薄れてきて、2年もすると別の新しい車が欲しくなるものです。

このような幸せ感は、そのときは大事に受け止め、そしてさらさらと流していけばよいと思います。

先月の最後のほうで、苦しみの受け止め方を、「小川の流れのようにさらさらと流し、あまりこだわらない」とお話いたしましたが、忘れさられていく幸せも、小川のせせらぎのようにさらさら受け止め、そのつど有り難いと思い、感謝をささげていけばよいと思います。

ずっと心に残っていく幸せ

忘れさられていく幸せの表側に、忘れられない幸せがあります。

できればこの幸せをたくさん体験しておくことが、心を豊かにする方法でもあります。心の食事で言えば、心の中に栄養をとる方法といえましょう。

ここで一つ投書(毎日新聞・平成12年4月30日)を載せます。「母に逢えたら」という文です。53才の女性の方です。

やさしいオレンジ色のポインセチアが、
クリスマスイブの日から姑の部屋に、今も不思議に咲き続けている。

15歳の私を残して、母は43歳で突然、逝(い)ってしまった。

幸い嫁ぎ先の姑は心やさしい人だった。
さすがに89歳の今は、年ごとに気力体力が衰えつつある。
片方の耳は遠くなり、歯も全部なくなってしまった。

食事のメニューも限られる。
同じテーブルについて、姑だけ貧しくならないように心掛けているつもりだが、
ミキサー食は私自身が食べてもおいしいと思えない。

毎日の風呂、天気の日を選んでの洗髪。
何の資格もない私だが、いつも「ありがとう」の言葉を返してくれる。

母との15年を超えて、30年の姑との暮らしが続いている。

天国で母に逢えたなら「よく頑張ったね!」と私を抱きしめ、頭をなでてほしい。
そして神様、母に逢えるその時は、43歳の母と15歳の私にもどしてください。
わずかの間に、一生分のしつけと愛情を注いでくれた母を誇りに思い、
感謝し、これからも姑のお世話をしていこうと思うのです。

ベランダに咲く花は、私のただ一つの楽しみ。
「いつも珍しい、きれいな花を咲かせてくれるね」と感心してくれる姑。
北国にも春が来ましたよ。お姑さん。

投書を書かれた女性の方は、15歳のとき母を亡くしました。でも共に幸せに暮らした思い出がずっと心の中に残っていて、お姑さんを介護する力になっています。

「愛を与えられ、抱きしめられた幸せな思い」、それを大切にし、その幸せの力を、今度はお姑さんに与えています。きっと天に帰ったとき、神様が43歳のお母さんと出会わせてくれるでしょう。15歳の娘に変身させて…。

ずっと残っていく幸せ。それは相手を思うやさしさであったり、愛をささげたことでもあります。そんな消えない幸せを積み重ねていくことが大切です。

(つづく)

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