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法話

一輪の花のやさしさ 4 「一輪の花のような祈り」

愛や慈しみの思いを自分の力で行うことは、大変優(すぐ)れていることですが、その力をさらに増すのが神仏への祈りになると思います。
神仏との一体感を作るのが祈りであり、その祈りの中に自分を生かし、他を生かす力があるのです。

こんな難しい理論を、一つの体験で示してくれたのが、黒柳徹子さんの体験でした。それは、ある一つの祈りの言葉からです。

黒柳徹子さんがユニセフの親善大使になって3年目のことです。1986年といいますから、黒柳さんが53才ころだと思います。

親善大使の仕事でインドを訪れたとき、マドラスの国立小児病院に行きました。
そこで破傷風で死にかけていた十才の男の子に会ったのです。

破傷風という病気ですから、黒柳さんは男の子を励ます気持ちで、
「あなた頑張ってね」といったのです。

するとその男の子は、
「あなたの幸せを祈っています」
と答えたそうです。

黒柳さんはこの言葉を聞いてショックを受けたといいます。そしてこの言葉が忘れられない言葉になり、「絶対に子どもを裏切ってはいけない。子ども達のために働こう」と強く思い、彼との出会いがユニセフの活動の原点になっていると語っています。

なぜ、この子は自分が死ななくてはならない病気なのに、人の幸せを祈れたのでしょう。このことを自分なりに考えました。

もし私が10才でもう死ななくてはならない病気にかかって、知人から「かんじんちゃん(筆者の名前)、頑張ってね」といわれたとき、 私がそういってくださった方に「あなたの幸せを祈っています」といえただろうかと思うと、100%の確立でいえなかったと思います。

でもこの子は病気なのに、元気な相手に向かって「あなたの幸せを祈っています」といえました。なぜでしょう。

破傷風といえば重い病気で、重症な人は数日で亡くなってしまうといいます。そんな病気にかかれば、心が不安定になって、悩み苦しみます。
そんな心で、相手の幸せを祈れるはずがありません。しかもこの子は10才の子どもです。

落ち着いて考えてみると、この子は神様を信じていたのではないかと思うのです。そして神様に祈る言葉を知っていたのです。

自分が大変な出来事にあっても、人の幸せを祈りなさいという「祈りの言葉」を知っていたのです。

大いなるものを信じるがゆえに、この言葉を語ることができたと思うのです。

この子は神仏を信じ、神仏に自分の命をゆだねています。そして神仏は、「自分のことより相手の命の大切さを祈りなさい。それが自分自身の命を輝かせて生きることであり、それがまた自らの心の平安に通じていくのだ」と知っていたのでしょう。
私はそう思うのです。

純粋に神仏を信じてお祈りをすると、私の心に神仏が住んでくださるのです。私の心に神仏が重なってくださるのです。

たとえば月が輝く晴れ渡った夜に、月は湖面に映ります。風もなければ湖面は波立ちもしないで、月をきれいに映します。

そのように心を静めて他のために祈っていると、月が心に映るように、神の力が、み仏の思いが、自らの心に重なるのです。

一心に祈ることで、神仏の力をいただけて、その力によって、まわりの人が幸せになっていけます。 またその思いが黒柳徹子さんのように、多くに人のお役に立つ仕事の原動力になっていくのだと思います。

そしてこのことを知った私が力をいただき、私を通してこのお話を知った方が、また力を得て、心の平安を得ていくわけです。

10才の男の子の一輪の花のような小さな祈りでも、やがて時を経て、多くの人の心に勇気を与えていきます。 神仏への祈りは、それがどんなに小さなものでも、言葉に言い表せないほど、尊く、素晴らしく、力あるものなのです。

お釈迦様も常にこう祈っていました。

目に見えるものでも、目に見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

 『ブッダのことば・スッタニパータ』中村元 岩波書店