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法話

光の世界 2 「光のような生き方」

太陽の光

朝起きるころ、あたりが明るくなって白々(しらじら)と夜が明けてきます。真っ暗であった外が、しだいに明るくなってきます。そんな様子を見ると、私はなぜか心がほっとするような気になるのです。喜びのような気持ちさえします。

太陽の光の様子は四季さまざまですが、たとえば雪が降ったばかりの真っ白な世界に、太陽の光がさすと、その光が雪に反射して、きらきら光ります。なんともいえない、光の舞いに、我を忘れて見入ってしまうこともあります。

いつだったか朝早く起きて東の空に、太陽が昇ってくるのを見たことがあります。その姿は大きく真っ赤で、太陽を見ても眩しくありません。ゆっくり空に昇っていく姿は、荘厳さや尊ささえ感じます。西の空に沈んでいく太陽も、また感動的です。

学生時代、新潟にいたとき、よく海に沈んでいく太陽を何度も見たことがありました。海の中に金色の道を作って、静かに西の彼方に沈んでいく。その黄金の道は歩いていけそうで、なんともえいない神々しさを感じました。

そのような太陽を見て、昔の人は「いつもお天道様が見ているから、悪いことはしちゃならない」といって、自分を戒めたのです。

お天道様は太陽という意味ですが、神様という意味もあります。尊いという意味合いを含んだ言葉です。またあたりを明るく照らし、明るいからやましい事ができないという思いにしていく力もあると思われます。

このような明るい光を、心に受けることが大切です。

影にさす光

この光は、私たちの心の中にもあるものなのです。このことを一つの事件から考えてみます。

ずいぶん前の話(昭和29年)になりますが、義母を殺してつかまらず時効が過ぎたのですが、日を送るごとに、「良心の呵責に耐えかね、告白を決意した」という70才の男性がいました。15年という時効が過ぎて、それから14年。ずいぶん時が過ぎているのに心に平安が訪れず、いつも不安な日々を送っていたのです。

この事件は、義母が自分の妻や子に辛くあたるので、ドライブに誘って、車内で首をしめ殺し、遺体をある崖(がけ)の下に投げ捨てたというものです。自分たちの不幸を義母に押し付けたわけです。

6月に起こった東京秋葉原の通り魔も、すべて自分の不幸は社会が悪い、という考え方でした。自分の不幸を他人の責任にすると、どうも影の部分が多くなり、罪を犯す確立が高くなるといえます。

義母を殺した男の事件は、殺人を犯してから15年の時効(※平成17年の刑法改正により現在は25年)が過ぎ、それから14年たっているので、合わせると29年になります。40才ころの殺人で、40才から70才になるその間、心の内はどうだったでしょう。良心の呵責にずっと苦しんできたのです。

この良心が光の部分です。その光が30年ほどかけて、殺人を犯した心の影の部分にさし続け、少しずつその影が薄れていって、警察へ告白にいく行為に出たわけです。心の中に光の部分が多くなった結果でした。

心の中にも太陽のような光の部分がある。それがこの場合、「良心」であったわけです。

明るいと物事の善し悪しがよく見える

太陽の一つの力は、まわりを明るくすることです。明るくなると、まわりの物がよく見えるようになります。

影の部分すなわち闇は、まわりがよく見えません。ですから、どちらに進んでいいか分からなくなります。夜、停電になると、部屋が真っ暗になって、どこに何が置いてあるか分からなくなります。
子供は急に停電になって暗くなると「恐い、恐い」と泣き出したりします。

そんなとき、また電気が流れてきて、明かりがパッと点くと、ほっとします。それはよく見えるからです。見えるから、どこに何があるかわかって、安心するわけです。

人生においても、同じようなことがいえるのです。

心の中に光の多い人は、まわりの物事がよく見えて、どのように生きればよいか分かるということです。太陽の光は明るいので、どこに何があるか分かるのと同じといえましょう。

30年近くも罪を隠していて、良心という光に照らされ、その光で自分がどんなに悪いことをしたかが分かった。そこから、まず、心に光がある人は自分のことがよく見えるということが分かります。自分は善いことをしているのか、悪いことをしているのかが分かるわけです。

次に、他の人のことが分かるのです。自分の心の中が明るいから、自分の持つやさしさ、思いやり、慈しみの思いが見えます。その分、相手のやさしさ、思いやり、慈しみの思いが見えるようになるのです。

そして世界がよく見えるということです。自分の心の中が明るいので、学ぶことの大切さや、知ることの必要性などを感じ取れ、法話を聞いたり、講演会に出たり、本や新聞などから情報を集めて勉強し、しだいに世間のことが分かってくるようになるのです。

暗くて自分が見えないとき

心の中が暗くて闇のようであればどうでしょう。

まず、自分が見えないことになります。自分が見えないと、自分の不幸や思うようにならないことを、他人のせいにするでしょう。社会のせいにするでしょう。

前述した義母を殺してしまった男や、通り魔と同じ心の状態といえます。これは罪としては、とても大きなものですが、あんがい、身近なところでも起こることです。

私はよくバスに乗って東京に行き、いろいろな講師の先生のお話を聞いてくるのですが、以前バスの都合で電車に乗って出かけたことがありました。

電車の中で櫻井よしこさんが書かれた『大人の失敗』という本を読んでいると、その本の中に、あるテレビ局が興味深い実験をしたということが書かれていました。電車の中で化粧をする女性たちを探るという実験です。

実験は20代の女性6人に別々に電車に乗ってもらい、封筒の中にある課題を行ってもらうというものです。

もちろんその封筒の中には、「目的地の駅につくまでに化粧をしてください」というものです。6人のうち3人は三世代の家族のお孫さんで、もう3人は核家族の娘さんたちです。

孫のグループの一人は、乗客を気にしながら、化粧バックを取り出しましたが、それ以上手が動きません。孫娘のもう一人は、バックを取り出し、眉を描いただけでバックをしまってしまいました。孫娘の三人目は、課題を呼んで当惑し、化粧をしません。目的地の駅について、駅の洗面所でお化粧をしました。

対照的に、核家族の娘さんたちは、三人とも、何のためらいのなく、化粧を始めました。しかも全員、目的地に着くまで、ずっと化粧を続けたのです。

番組で伝えたのはこれだけだったそうですが、櫻井さんはこのことを一言でいうと、「二つのタイプの家族構成でのしつけにおいて、生活のなかでどれだけ他者の存在を意識するかによって生まれてくることである」と書いていました。

そんな本を読みながらふと顔を上げると、隣に座っている30才くらの男性は、お菓子をバリバリ食べ、ジュースを飲みながら雑誌を見ています。
通路を隔てて座っている中年の男性は、週刊誌を見ながらビールを飲み、ガリガリと音の出るつまみを食べています。

横の人がその姿をどう思って見ているかは、まったく気にしていないようです。お菓子やつまみを食べる大きな音は、どうみても電車の中ですることではないように、私には思えたのです。

これはまわりのことが見えないとともに、自分のしていることも見えていない、光のささない心のあり方からきていると思うのです。この行為がどれほど、自分を卑しくしているか気がつかないのです。

暗くて自分が見えないというのは、人が迷惑していることも見えないし、また社会の常識や「礼儀」さえ、見えないようにさせてしまうのだと思われます。

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