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法話

光の世界 1 「なぜ精いっぱい生きなければならないのか」

このお話は6年ほど前に、拙著「精いっぱい生きよう そして あの世も信じよう」という本が出たとき、「法泉会」という法話会で、この本に関連したお話をしたものです。数回のお話になりますが、お読みください。

あの世の存在

『精いっぱい生きよう そして あの世も信じよう』という本の「はじめに」というところに、この本を書いた趣旨が書いてあります。

あの世は存在するのですが、それを明確に述べ伝える人は少ないと思われます。たとえあの世の存在を語ったとしても、それが不確かであったり、この世の生き方をまげてしまうものもなかにはあります。

その意味で死後の世界を語らず、今というこのときを大切に生きることを重点において語っていたほうがよいかもしれません。

とあります。このスタンス(立場)で教えを述べ伝えているのが、ずいぶん多いと思われます。

次に、

しかし、実際あの世があるのに、それを語らず、この世限りの生き方をしていては真理にはずれた生き方になってしまい、おそらく、あの世に還(かえ)っても悔いの残る反省をしなくてはならないでしょう。

と続けています。これがこの本を出した主な目的になります。

いつだったか、お寺にお参りに来られたご夫婦がいました。奥さんのほうはずいぶん信心の篤い方で、お寺をお参りして歩くのに非常に興味があり、仏像を見させていただいて本当にありがたかったといわれました。

その奥さんに、「今度『あの世も信じよう』という、こんな本がでたんです」といいましたら、奥さんが「まだ私は、あの世は早いから・・・」といって、本には興味を示しませんでした。

このとき、「仏像はお参りするけれど、あの世のことは学ばない。どこか違うのでは・・・」と思ったのです。

どこが違うのだろう。神仏は、本当は見えない存在で、それをこの世の形として表したのが仏像です。あの世も見えない世界で、そこには仏像のような仏様がいっぱいいらっしゃって尊い仕事をなされている。

あの世を死とすぐに結び付けないで、見えない世界のことを謙虚に学んでいく、それが神仏の心を知ることになるのだし、本当の信心(信仰心)ではないだろうか。そう思ったのです。

本を出してくださったグラフ社さんも、「今の若い人たちは、まだあの世は関係ないと思っている人が多い」ということを言っておられ、ずいぶんこの世は見える世界のみで生きる人の多いことを感じさせられたのです。

当時(平成15年1月8日付)の朝日新聞で「四半世紀の日本人、定期国民意識調査」についての記事が出ていました。

そのなかに、「宗教や信仰への関心」での質問で、1987年の場合、関心がないという人が60%、2003年の時は、77%という結果が出ていました。
20年あまりして、関心のない人が17%も増えていたのです。

宗教や信仰というものが、誤ったとらえ方をされているのか、それとも目に見える世界のみが「求める価値あるもの」であるという考え方なのでしょうか。いずれにしろ、淋しい結果でした。

宗教はもともとあの世の存在とか、見えない世界のことを語っていますから、それを信じられないという人が多いということでしょう。

見えない世界のことを語らず、この世の生き方を説くのは道徳になります。これは堅実で大切な教えです。

さらに進んで、見えない世界である神とか仏がいて、また亡くなって後には、天上と言われる光ある世界があって、そこからさまざまな導き(インスピレーションといってもいいでしょうか)がある。
自分には考えられないような考え方が降りてくる。またその世界から教えというものを降ろして、私たちに伝えてくれる賢者がいて、その教えに基づいて生きていく。

そういうのが一つの宗教観です。このような正しい意味での宗教観を、多くの人が知らなくてはならないと思うのです。

あるいはこの本を読むことで「あの世があるんだなあ」とか「あの世にいったら、どのような世界があるのかなあ」とか「どうすれば素晴らしい世界へ帰ることができるんだろう」というようなことを理解していただければと思うのです。

そこで今回のお話は、この本ではあまり触れていない光の世界ということでお話を進めて、もう少し広い知識を得ていただければと思うのです。

光と影

あの世というところは、光の世界です。

光が物にさえぎられると影ができます。その光のささない影の部分を地獄の世界といってもいいかもしれません。

そういう見えない世界があるとともに、私たちの心の中にも光の世界と影の世界があるのです。

心の中に光の世界が多い人は、ほほえみが豊かで幸せな思いに包まれていて、逆に影の部分が多い人は、苦しみや悩みが多かったり、貪欲や怒り愚痴で覆(おお)われていて、いつも「私は不幸だなあ」と思い、幸せ観の薄い人ではないかと思われます。

よく心の中に天と地獄があるといわれますが、この光と影のたとえでいえば、光が天で、影の部分が地獄といえます。

ですから影の部分に光を当てて、光の部分を多くしていく。そのために正しい価値観のもとに、精いっぱい生きていくことが必要なわけです。仏教的な言い方でいえば、光の多い人が悟り深いともいえましょうし、一般的にいえば、人格の高い人といえます。

この世とあの世の関係で言えば、生きている時、光多い人は、悟り深く人格も高く、死んで後、あの世の光の世界へ昇っていけ、この世で影の部分が多い人は地獄に逝くのです。そういう法則にも似たものがあるのです。

ですから、今この時を精いっぱい生きていくことで、自分がどれほど光ある生き方をしていくかが大切になるのです。