法話
愛が輝くとき 5 「愛と知恵」
知恵の大切さ
この愛の仕事を充分に果していくために必要なものが、知恵です。知恵がなければ、愛を充分に活かすことができないかもしれません。
包丁は料理を作るときに使います。野菜を切ったり、お肉を切ったり、りんごなどの皮をむいたり、そんなときに包丁を使います、これも知恵の一つです。
その包丁を悪用して、人を刺す人もいます。
しかし包丁は人を刺すためにあるのでなく、料理を作って、人を幸せにするためにあるわけです。これを知っていて包丁を使い料理を作り、その料理を食べて家族みんなが幸せを感じる。
それは包丁をどんなときに使えばいいかという知恵があるからです。
包丁で人を殺したら、多くの人が悲しみます。殺した本人も良心が痛みます。
それをあらかじめ知っていることが知恵になります。
さらに人は愛から別れてきた存在で、愛において自他は一つであるのです。ですから人を殺してはいけないのです。自分を大切にするように、相手の人も大切にしなければならないのです。このことをよく理解し知っていることが知恵ある人であるといえます。
今年(平成19年)の2月18日、東京マラソンがありました。参加者が三万人を超えて、感動的なイベントになったと思います。
私もテレビでその様子を見ていました。それを見て思ったことは、これだけの人が東京の街中を走るのだから、その人たちを支える人たちはどれくらいいるのだろう、ということでした。
翌日の新聞を丁寧に読んでみると、交通規制箇所が六百箇所で、ボランティアの人数が四十万人とありました。「すごいことだなあ」と、そのとき感じたのです。それだけの人びとに支えられ、三万人以上の人々が心地よく走ることができたわけです。
愛があればこその、一日であったのです。
しかしその東京マラソンに参加したある人の情報によると、大会前のボランティアの事前講習会で、ボランティア用のユニホームが足りず、何人かのボランティアの大人が、スタッフに怒鳴りつけたようです。
「そのユニホームがなければ明日はこない、服が欲しくてきたんだ!」と。
いろいろな考え方でボランティアに参加したとは思いますが、ボランティアは愛の行為ですから、知恵の足りなさを思います。
また参加者は、スタート地点で自分の手荷物を預けたわけです。
三万人もの人の荷物ですから、スタート地点からゴールまでそれらの荷物を運ぶのにトラック四十台が必要とされました。そして、ゴールに着いた参加者の荷物を配るボランティアは高校生であったのですが、荷物がトラックの中に番号順に順序良く並べてなかったので、荷物を引き渡すのにずいぶん時間がかかりました。
直接の責任がない高校生が「早くしろ!」とマラソンに参加した人たちに罵倒され、高校生は「すみません」と平謝りで、荷物を引き渡したといいます。
雨の中で走り続け疲れていたとは思いますが、今まで走って完走でき、その心地よさは、このボランティアの人たちのおかげであるのに、最後に怒りをボランティアの人に返しました。
私には間違っているとしか思えません。これは知恵がないからです。知恵ある人であるならば、「待つ」という行為が、この場合の愛の表現であることを知り、早く帰りたいという思いを律することができたでしょう。
愛の人となるために、この場合は言っていいこと、この場合は言ってはいけないこと、この場合は叱り、この場合は手を添えてあげることなど、その場その場の対処法を学んでいき、生きる知恵をつけていくことが大事です。
この場合、当然分かっていることだからと思って、言葉に出し「ありがとう」を言わない。心では感謝しているから、ねぎらいの言葉などいまさらいらない。こう考えていれば、知恵が少し足りないと思わなくてはなりません。
ある冬の日、水道の蛇口(じゃぐち)からお湯が出なくなった。
直すまで水で炊事をしていたら、夫が「水は冷たかろ」と言ってくれた。
奥さんはとても嬉しかった。
もう一度のその言葉を夫から聞きたくて、
業者さんへの修理の催促の電話をかけずに、数日間水で洗い続けた。
そうしたら、もう一度夫が「冷たかろ」と言ってくれた。
とっても嬉しかった。
そんな奥さんの気持ちに、言葉に出して言ってあげる夫の知恵と愛が必要なときがあるのです。
真理の学びを心がける
知恵を得るために、日頃から真理(正しい考え方)の学びが必要になります。
学ぼうとする志を持ち、それを自分の生き方にしていくという意志が必要になります。今回のお話もその知恵の一つであるわけです。
「愛が輝くとき」の第1回目のお話の初めのほうで、
「愛はやさしさであり、思いやりであり、相手を理解し、人を生かして幸せにしていく力です。しかし愛は見えません。心を問うもので大切なものは見えない存在ばかりです。何故なのでしょう。それは泥水をかき回したこの世にあって、何が正しいことであるかを見つけ出す修行を私たちがしているからです。そんな泥水のなかで、何が最も大切なものかを発見し、それを生きる糧にしていった人が、この世に美しい蓮の花を咲かせる人であるといえます。その最も大切なものこそ、愛なのです」
こう書きました。これは一つの真理であると思います。
こんな真理を学び、正しい知恵をつけて、愛を施し与えることのできる人生を生きることです。そこに必ず美しい自らの花が咲き、幸せが広がっていきます。