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法話

愛が輝くとき 4 「愛の仕事」

愛は悪を打ち砕く

愛はどんな仕事をするのでしょう。

愛が仕事をするという表現はあまり耳にすることはないと思われますが、愛によって、人生が好転したり、幸せになれたなら、それは愛が仕事をしたからだと考えるわけです。

まず一つ目として、愛は悪を打ち砕くという仕事をします。

たとえば、介護に疲れ、自分が楽になるために、母を殺した、父を殺したという事件がよくおこります。

今年の2月でしたが、新潟で55才の女性が83才の寝たきりの義母を、介護で疲れたといって刺し殺した事件がありました。
その家族構成は義母、義母を殺した女性、女性の夫(58)と長女、長男、次女の六人家族です。その介護を3年ほど一人で女性がしていたということです。

それぞれの家の事情もありましょうが、やはり介護は一人に任せるのでなく、家族みんなで協力していかないと、一人で介護している人が押しつぶされてしまいます。
できなければ、介護を専門にする人の助けや施設へ協力を求めることも大切です。

この事件の背後には家族の助け合いが薄かったことが推測されます。助け合う心は愛の心からきますから、愛がこの家族には少し欠如していて、疲れた女性の悪を押しとどめることができなかったのです。

また、「家族に迷惑を掛けるから、ここにおる」と言って、老人保健施設にお世話になっている老人もいるといいます。家族から愛が消えてしまっていることを感じます。

しかし次のような家族もいます。

寝たきりのおばあちゃんがいて、お嫁さんが介護していました。
娘に介護を頼み、おばあちゃんの排泄物を始末する娘に、

「ごめんね、そんなことまでさせて」

と言うと娘が、

「気にしないでいいよ。ばあちゃんがいるから私がいる。
ばあちゃんが生まれたことに感謝しているよ」

と言ったそうです。

お嫁さんは、娘さんが「ばあちゃんがいることがありがたい」と言った言葉は、介護の基本だといっています。そんな家族です。
この家族は、互いを思いやり助け合っています。ここには愛が働いていて、その家族をしっかり結びつけています。そこには悪が入り込む隙(すき)がありません。

みんなが手をつないで、円を組む。その円の中に軽々と他の人が入り込めないように、愛が働いて家族が手を結び合っている家には、悪は入りこめないわけです。

愛あるところに、悪は消えていくのです。

愛が心を育てる

二つ目に考えられる愛の仕事は、愛が心を育てる働きをしているということです。

心がまだ育っていない状態とは、努力もせず、人にしてもらうことで自分の幸せを得たいと思う段階です。

それが自分の努力で生活できて人を支え、また支えられていることに気づいて感謝でき、他の人のことを思いやりながら生きていける段階になれば心が成長しているといえます。

あるいは、自分勝手で不満が多い生活をしている人は、心が育っていないといえますし、感謝と思いやり深い生活をしている人のことを、心が育っているといってもいいかもしれません。

この心の成長には限界がなく、無限の高みを持っていると考えられます。基本は家族に対しての愛がありますし、友や知人への愛、そして地域を越えて日本や世界の人々を支えていく愛もありましょう。
また何千年も朽ちることなく、人びとを導いていく愛(慈悲)の生き方を示す偉人もおられます。

この心の成長になくてはならないのが愛の存在です。

この身体を支えているのが、水や食物です。
それらのものを身体のなかに取り入れて、人は成長し、体力を維持し、そして日々活動していくことができますが、心の成長のためには、心のうちにある愛を育てていくことが、心を育てることにつながっていくのです。

ですから愛を育てることが、心を育てているといってもいいかもしれません。
これが心を育てる一つの方法なのです。

では愛を育てるために、何が必要になるのでしょう。

それは感謝です。

感謝は、自分が支えられているということが分からなければ出てこない思いです。「ありがたい」と思えて、人は愛を施し与える(施与・せよ)ことができるわけです。
愛を施与することで、愛はしだいに成長していきます。

夏の木々が緑の葉をいっぱいに茂らせます。
もとは何もない状態から、しだいに緑の葉が芽吹き、葉を茂らせます。

それは内からでてくる力です。
それと同じように、愛は心の内からでてきて、その愛の葉を茂らせるのです。

あの木々の力はどこからくるのでしょう。科学的な説明もできましょうが、私には仏の愛(慈悲)からきているとしか思えないのです。非科学的ではありますが、仏の愛の力が木々の葉を茂らせたと思うのです。

同じように私たちも愛の葉を茂らせる力は、仏の愛からきているのだと思います。
感謝の思いが深ければ、仏の愛を受け取ることができ、自らが人として大きく成長していけるのです。

愛が人を正しく導く

もう一つ愛の仕事をいえば、愛は人を正しく導くという働きをしています。愛がなければ自分本位で人を思う気持ちが薄れていきます。

たとえば自分の小学生の子に酒と食料品を盗ませるような親がいます。

「酒とつまみを取ってこい」と父。
母は「夕飯のおかずを盗んでこい」と三人の子に命令する。

この万引きは明るみに出て、親が逮捕されましたが、悲しい出来事です。
自分本位の親といっていいでしょう。

一方、親が子のいいところを見てあげて、子が笑顔で育っていくという事例もあります。家族が娘のいいところを見てあげて、娘の反抗的な態度がピタリとなくなったというのです。


美智子(仮名)が小学校五年生の時、先生から親に子どものいいところを書いてもらうようにという宿題がでました。
そこで美智子は家に帰って「私のいいところ書いて」と母に頼んだのです。

すると母は「あなたのいいところ!一個もない」と冷たくいいました。そのとき美智子は悲しくて大泣きしてしまったのです。

母があるとき美智子の持ち帰ったノートを見て驚きました。そこには娘の友達が美智子のいいところを「明るい」「元気がある」「笑顔がかわいい」と、たくさん書いていたのです。

これを読んで母は、先日のことを思い返し、「これでは親としていけない」と、家族みんなで美智子のいいところを話し合い、便箋に書いて、美智子に渡しました。
それ以来、美智子の反抗的な態度はピタッと止まり笑顔がもどったのです。

(読売新聞「子どもの心」平成18年2月27日からまとめ引用する)

子どもの良いところを見てあげるというのは、その子の存在を認めてあげることで、
認められた子どもは、家という居場所を確保し、そこに安らぎを得ることができるのです。

相手のいいところを発見し、伝えてあげる。これも愛の行為で、その行為が子どもを正しい方向に導いていったことになります。

愛は人を正しい方向へと導く仕事をするのです。