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法華経の詩

法華経の詩(47)

薬草喩品 第五(6)

長老である魔訶迦葉(まかかしょう)は
世尊なる仏に
一つの乗り物としての
さとりの境地について 問い尋ねた

仏は「盲目のたとえ」を示して教えた
ここに生まれつき盲目の人がいたとしよう
その者は目がみえないゆえに
よい色とか悪い色のものはない
太陽も月も星もないと言う

目の見える他の人びとは この盲目の者に
よい色も悪い色もある
太陽も月も星もあると言う
しかし生まれつき目の見えない者は
他の人びとの言うことを信じない

ここに病気を知り尽くしたひとりの医者が
山の王者であるヒマラヤ山に
この病気を治すための唯一の薬草がある
この薬草のみが この病を治すことができる
そう教えた

生まれつき盲目の者は その薬草を求めて
苦難のすえに 薬草を手にして煎じて飲んだ
そうして 視力を回復して見えるようになって言った
私は愚かにも人の言葉を信用しないで
太陽や月などないと言ったが
今は何でも見えるようになった
すべてを私は理解し 悟った

このとき神通力をもった聖仙が言う
お前よ 家の中にいて外のものが見えるか
お前よ 人々はお前に愛情をもっているか
憎しみを抱いているかが見えるか
お前は視力を得たにすぎない
すべてを知り 悟りを得たのではない
真なるさとりを得るのは
仏の教えを静かに思い 欲望を捨て去り
清浄な徳を具えて 初めて得られるものなのだ
そこで 盲目であった者は出家し
教えを静かに思い 欲望を捨てようと修行に励んだ