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しきたり雑考(15)

茶柱

今月は「茶柱」について考えてみたいと思います。

お茶といえば、最初に伝えたのが、
臨済宗を起こした鎌倉時代の栄西(えいさい)であると言われています。

栄西の茶は、
今ある茶の葉に湯を注ぎ飲む方法を宋の時代の中国から伝えたのです。

実際は行基(ぎょうぎ)という奈良時代のお坊さんが、
茶の栽培を始めたと言われています。

この時代のお茶は、お茶の葉を粉にして、
それを湯に入れて煎じて飲む方法だったようです。

さらに栄西の伝えたお茶を発展させたのが、
京都の栂野尾(とがのお)の僧、明恵(みょうえ)であったようです。
明恵の植えた栂野茶(とがのおちゃ)は南北朝時代のことですが、
このお茶が畿内を中心に広まっていったようで、
その中でも宇治茶の生産地が有名になっていったのです。

桃山時代には、豊臣秀吉と千利休で隆盛を極めました。

江戸時代には、この宇治茶は幕府直轄(ちょっかつ)の天領として保護され、
さらに有名になっていったのが、今の静岡の駿河茶(するがちゃ)です。
この駿河から、茶柱の逸話が出て来たのです。
駿河で「茶柱が立つとよいことがある」との言い伝えが広まっていきます。

解説すると、駿河の良いお茶はみな売れてしまって、
売れ残った2番茶を売りやすくするため、
「茶柱がたつと縁起がよい」と触れまわったというのです。

そういえば、高価な玉露や煎茶などは、
ぬるま湯をさして、時間をかけてお茶の味を出すので、茶柱は立ちません。
それに比べて葉の多い番茶は熱い湯でさっと出すので茶柱が立ちやすいのです。

この茶柱は
「茶柱が立ったことを他人にいうと、せっかくのよいことが他人に移ってしまう」
とか
「立った茶柱は、他の人に知られないように飲みなさい」
とか
「茶柱をそっと拾い上げて着物の左袖に入れておくとよいことがある」
などとの言い伝えがあります。

実際に病気が治らない人に、
自分の湯飲みに立った茶柱を、病人の湯飲みに移したら、
その病人が翌日から病状が改善し、元気になったという伝えもあります。

みなさんは信じますか・・・?

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