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仏事の心構え(152)

仏像の見方について 32 四天王2

今月は「四天王」の2回目になります。

昔、聖徳太子が仏教をこの日本に取り入れ広めるために、
物部氏(もののべし)と戦ったことがありました。

そのとき四天王像をつくり、その像に戦勝を祈願したのは有名で、
その戦いに勝って、摂津に四天王寺を建てられました。守り神の始まりです。

この四天王の見分け方をいいます。

先月少し説明した持国天(じこくてん)は、右手に剣を持っています。
広目天(こうもくてん)は右手に筆を持っています。
増長天(ぞうちょうてん)は三叉戟
(「さんさげき」と読み、頭が三つ別れているヤリのこと)、
あるいは弓を持っているものもあります。
そして多聞天(たもんてん)は宝塔を持っています。

この多聞天を少し説明します。

多聞天は仏が説法する道場につねに来て説法を聞いていることから
多聞天と名づけられたといいます。

インドの言葉ではヴァイシュラバナといい、その意味は「多聞」であるようです。
そしてこのインドの言葉をそのまま漢字にあてはめて、
別名、毘沙門天というわけです。
「ヴァイシュラバナ」と「毘沙門」、少し似ていますね。

源義経が牛若丸のころ、鞍馬寺(くらまでら)で修行をしていましたが、
このお寺で毘沙門天が祀られていて、その仏様を義経もお参りしていたようです。

ここの毘沙門天は少し変わっていて、
手を目の上にかざして、遠くを見ている、そんな姿をしています。

足利尊氏や上杉謙信も、自分の守り本尊としてこの毘沙門天を信仰していました。
楠正成は両親が毘沙門天に祈って生まれた子ということで、
幼少の名を多聞丸とつけられていたようです。

ですから楠正成も、この毘沙門天を信仰していました。
戦勝の神として力があったのです。

仏の教えをよく聞く者が、戦(いくさ)の神というのは、
教えなる「法」にも、戦いの力が備わっているといえましょう。