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仏事の心構え(146)

仏像の見方について 26 愛染明王

今月は明王の2回目です。
先月は不動明王でしたが、今回は愛染(あいぜん)明王です。

明王の一つですから、とても怖い顔をしています。

愛染というのは、サンスクリットでラーガというようです。
愛欲、性的な欲望を意味しているといいます。
愛欲や性欲という煩悩を、悟りの力に変えていく仏様です。

秘義の中で、私たちが持つ性欲の力を、性欲を立つことで、
悟りの力に転化させ、人を救済するということが言われています。

これと関係するかどうか定かではありませんが、
そんな力を秘めて、私たちを救ってくださる仏様です。
大日如来の化身とされる、尊い仏様でもあります。

姿は、怒っています。
難しく言えば忿怒相(ふんぬそう)です。

身体の色は赤色をしています。
目が三つあり、牙(きば)を生やしています。
髪は逆立てていて、その頭には獅子冠(ししかん)といって、
獅子の顔をした頭をのせています。

その獅子の頭から、長い紐(ひも)が
左右の耳の後ろから膝(ひざ)のあたりまで垂れています。
これを天帯(てんたい)といいます。

この紐(ひも)は、太宰治の「くもの糸」のように、
天から明王が金の紐を垂らして、人びとを救いあげてくれる意味があるのでしょうか。

手は六本あります。
このような仏様の姿は、どの仏様にも見受けられますが、
通常では考えられない姿です。
それほど、多くの手を持って、
人びとを救済する現れであると思われます。

私たちはこの手を一本でもいいから休ませてあげるために、
自らの悟りを深める生き方しなくてはと思います。

右手に、武器であった五鈷杵(ごこしょ)、矢、まだ開いていない蓮華を持ち、
左手は弓、金剛鈴(こんごうれい)を持ち、もう一つの手は拳(こぶし)をとっています。

私たちが求めるものは、何でもつかんでいる、そんな意味があるようです。
こうしてみてくると、仏様の世界は広く深くて、
凡人には理解しがたいものがありますね。