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仏事の心構え(131)

仏像の見方について 11 菩薩1

今まで如来について語ってきましたが、
今回から「菩薩」についてお話をしたいと思います。

まず如来と菩薩の違いです。

如来は法を説き、時代に残る仕事をしていきますが、
その如来を助ける働きをしているのが、菩薩といえます。

釈迦如来の両脇に端坐している仏は、文殊菩薩と普賢菩薩ですし、
阿弥陀様には観音菩薩と勢至菩薩が付き添っています。
この形は如来を助けるということを現わしているのです。

一般に菩薩は自らの問題を解決し、人のために働くことを喜びとしている仏です。

仏教では転生輪廻(てんしょうりんね)といって、
自分の問題を解決できない間は、生まれ変わりを余儀なくされるといいます。

菩薩はそんな問題をすでに解決し、自らの意志で人を助けるために、
この世に生まれてくるとされているのです。

もっと広い意味では、菩提心(ばだいしん)といって「悟りを求める心」を起こし、
修行に励んでいる人を菩薩ということがあります。

私は悟りを求めたい、そのために修行をしています、
と言えば菩薩といえるわけです。

しかし、菩薩にもさまざまな段階があって、
如来を助け、また人を助けるために生まれてくる菩薩は、
悟りの高い菩薩といえましょう。

よく親しんでいる菩薩は、観音様や地蔵様などありますが、
如来の姿とはずいぶん違いがあります。

如来の多くは装飾品をつけていませんが、
菩薩になると宝冠をかぶり、たくさんの装飾品を付けています。
これは一般の人たちと変わらないことを現わし、
私たちととても身近な存在であることを示しているようです。

後で詳しくみていきますが、
地蔵菩薩などは、髪を剃り、坊主頭をし、袈裟も付けています。

どうしてでしょうか。

禅宗系のお坊さんは頭を剃っている方が多いのですが、
私たちと同じ姿に身を置き、驕(おご)らずに人を助ける仕事をしているからでしょう。

それほど謙虚に仕事をされる仏が、菩薩といえます。