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仏事の心構え(130)

仏像の見方について 10 如来8

今月は如来の8回目で、大日如来(だいにちにょらい)のお話を致します。

先月、毘盧舎那(びるしゃな)如来のお話をしましたが、
この毘盧舎那如来をさらにパワーアップし偉大な力があるとしたのが大日如来です。

この毘盧舎那の上に大きいという意味の摩訶(まか)をつけ、
摩訶毘盧舎那としました。

摩訶は「大」で、毘盧舎那は太陽という意味があるので、「日」とし、
合わせて「大日」としたわけです。

この大日如来には二つの働きがあり、
一つは智慧(ちえ)を現わし、もう一つは慈悲を現わします。

前者は森羅万象すべてがこの仏の智慧の力によって創り出されたと考え、
金剛界(こんごうかい)の大日如来といいます。

後者は森羅万象が仏の慈悲の思いで包まれているとし、
胎蔵界(たいぞうかい)の大日如来になります。

如来の姿ですが、不思議と菩薩のような姿をしています。
宝冠(ほうかん)をかぶり、装飾品を付けています。

この宝冠は五智(ごち)宝冠といいます。
しかし、菩薩よりもさらに絢爛さがあるように作られています。

菩薩との見分け方は手の結び方に現れています。
手をどのように結んでいるかです。

これを印(いん)といいますが、
左手の人差し指を立てて、その指を胸のあたりで、右手で静かに握ります。
これを智剣印(ちけんいん)と言います。この如来が金剛界の大日如来です。

胎蔵界の大日如来の手の印は、
釈迦如来と同じように法界定印(ほっかいじょういん)です。

頭にはやはり宝冠をかぶっています。
難しく言えば五仏(ごぶつ)宝冠といいます。

仏教の世界観は、やはり仏の智慧によって創り出されたということです。

キリスト教でも神がこの世を創造したと考えられていますが、
仏教でも仏の智慧によってこの世が創り出され、
さらには常に仏の慈悲によって包まれ、
私たちやすべてのものが生かされていることになります。