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仏事の心構え(117)

葬式とは何か 2

今月は7月号の続きで、「葬式とは何か」の2回目です。

この時には、葬儀のことが世間ではずいぶん取りあげられていて、
さまざまな本も書かれていることを書きました。

それらの情報は納得するところもずいぶんあるのですが、
その中で特に気になったことは、仏教学者さんたちが、
お釈迦様は死後の世界を語らなかったし、認めなかった、魂の存在を否定した、
などということを述べています。

死後の世界や魂がなければ、葬式などする必要はなくなります。

葬儀という儀式の力で、亡き人をあの世の幸せの世界へ送ってあげるのが、
葬儀の重要な意味をなしているからです。

お釈迦さまが死後の世界を語らないというのは、
ある青年が死後のことや宇宙のことなど聞いたときに、
お釈迦さまは語らなかったというところからきているようです。

その後に、お釈迦様は「毒矢のたとえ」をして、毒矢が刺さった人を、
矢はどこから来て、その毒はどんな種類の毒で・・・などと調べていると、
毒矢を受けている人は死んでしまう。

まずその人を助けることが肝要であって、同じように死後のことや宇宙のことよりも、
今苦しんでいる人を助けることが大切だと語ったことを理由にあげています。

これは死後の世界を認めないというのでなく、この青年に対機説法をしていて、
そんなことより、日々正しく生きなさい、と悟らしめているですが、
このことがどうも分からないようです。

実際に8月号の「お釈迦さまの生涯」にも書きましたが、
お釈迦様は3明を得て、人の前世や、死後の世界の様子を見る力があったのです。

初期の仏典「スッタニパータ」でも、
死後の世界のことや地獄の世界のことをはっきりと言っていますから、
お釈迦様が死後の世界を語らなかったり、認めなかったということはないのです。

一番簡単明瞭な教えは
「善いことをすれば善い世界へ逝き、悪いことをすれば悪い世界へ逝く」
ということです。

これもお釈迦様の言葉ですが、
こんな簡単な悟りさえ得ていないような気がしてなりません。