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仏事の心構え(116)

葬式とは何か 1

今月から数回にわたって「葬式とは何か」ということでお話をしたいと思います。

この「仏事の心構え」では、葬儀について昔から行ってきた枕飯とか逆さ屏風の意味、 あるいは行列を作る意味など、何回にもわたって、葬儀の事についてお話ししてきました。

先月までは、「直葬」について7回ほどお話をしてきましたので、
葬儀の大切さは、この仏事の心構えでは、言いつくしてきたつもりです。

でも昨今、葬式に関するたくさんの本が出て来て、
葬式の有無についての話題がずいぶん語られるようになってきました。

そこで今一度「葬式とは何か」というテーマで考え、
この現代的な意味を再考したいと思います。

まず、葬式に関しての本です。
最近何10万部も売れたという『葬式は、要らない』(幻冬舎親書)という本があります。

本の帯には「葬式無要論」などと元気いっぱいの見出しがあって、
内心、失礼な本だと思っていたのです。

さらに、この本を書いた著者は以前オウム真理教を擁護するような発言をしていて、
ある女子大も辞職していますので、手に取って読むことをはばかっていました。

でも、です。
読まなければ、葬式は要らないという趣旨も分からないので、
買って、読んでみました。

するとそれに対抗してか、今度は『葬式は必要!』という本が双葉親書からでていて、
「葬式は人生の卒業式」と帯には書かれていました。
この本には葬式の必要性を書かれています。

さらには『お坊さんが隠すお寺の話』『お坊さんが困る仏教の話』などの本にも、
「マンネリ葬儀に法外な戒名料」などと本の帯に書かれていて、
ずいぶんきつい言い方と内心は思ったのですが、読まなければその意味が分からないので、
私のあまり好まないシイタケを食べるつもりで、読んでみました。

さらには、『お葬式はなぜするの』とか、葬儀に関するさまざまな本が出ていて、
目に届いた本はだいたい買って読み、さらにはある雑誌にも、葬儀の特集が載っていて、 これは少し「法愛」の著者も一言申し述べておかないといけないと思い、
私見を交えながら、述べようと思うのです。

今月は書くことの理由だけで終わってしまいました。
失礼します・・・。