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仏事の心構え(111)

直葬 3

今月は「直葬―ちょくそう―」の3回目になります。

先月の1月12日(2010年)のNHKでもこの直葬を取り上げて報道をしていて、
中には葬儀関係者のみで直葬をしていました。

「家族で送ってほしいのですが、それができず、人の温かみがなくなってきてしまった」
と葬儀関係者がコメントしていたのは、何か悲しいものがありました。

また葬儀社にどこからも引き取りのない遺骨があって、
それもなぜか悲しい思いをしました。

本来の葬儀は宗教的儀式があって「礼式」という意味の儀を使うのですから、
直葬が葬儀としての力があるとは思えませんし、儀がないので、
あの世の旅立ちを助けるための救済力は薄いといえます。

「私も葬式をしない」という人たちのコメントが
ある新聞(平成21年10月7日 産経新聞)に掲載されていました。

その中に、こんなものがありました。 

77才の男性ですが、
「葬式はしないでよい。
悠々と大海に漂い、広い世界を流れ歩く夢を持ち続けたいから、
黒潮に流してほしい」
といっています。

(平成21年10月7日 産経新聞)

文章は格好がよいのですが、これで本当に救われるのか疑問です。

これを生きているときに実際にやってみれば分かることです。
大海の中で一人ですから、どんなに孤独でしょう。

海の波に呑まれない準備をしなくてはならないし、
食糧や水の調達も大変なことです。

それを死んでから永遠に続けなくてはなりません。
こんなことができましょうか。

思うに「死ぬこと」をかなり甘く見ていると私は思います。

61才の女性の方です。
「経済面で息子に迷惑をかけたくない。葬儀も戒名もいらない」
こんなコメントです。

(平成21年10月7日 産経新聞)

よく分かる気もいたします。
やさしい方なのでしょう。

でもどうでしょう。

誕生日のお祝いもいらない。
結婚式もいらない。正月もお盆もいらない。
みんなに迷惑をかけるから…。

これと同じことを言っているといえます。

支え合って生きている私たちなのに、辛くなる直葬に対しての女性の言葉です。