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仏事の心構え(97)

法事 7 「引き物」

今月は「法事」の7回目で、「引き物」にいてお話し致します。

法事に来られた方々に、大概の家では引き物を差し上げます。お茶やお菓子、タオル、シーツ、あるいは最近では商品券やカタログで選ぶ方法も増えてきました。

引き物の上には「志」や「粗供養(そくよう)」と書きます。今では粗供養と書いてあるものは少なく、多くが志になっています。

この引き物はなぜするのでしょう。お参りに来られた方が香典を包んでくださったお礼にするものなのでしょうか。

今ではそのように受け取りやすいのですが、本来は粗供養の意味で、引き物を出したのです。この粗供養の意味を知ることで、引き物の意味も理解できると思います。

昔、人々は死んで後、強く往生を遂げたいと思っていました。しかし往生するためには、滅罪が重要であったのです。

滅罪とは生前犯した罪を滅することです。「罪をほろぼす」ことです。滅罪のために必要なことが善を積むことでした。善を積む事で罪を無くすのです。

しかし死んでしまえば、善も積むことができません。それで生きている人が、亡き方の代わりに善を積み、その善を亡き人に手向け、その力で滅罪をしたのです。これが粗供養の意味です。

今では行われなくなってしまいましたが、葬儀のとき葬列を組みました。

その中に花かごがあって、花かごのなかに、小さく切った色紙やお金を入れ、葬列のさいに、その花かごを揺さぶると、切り紙やお金が降ってきて、子ども達がそのお金を拾うということがありました。

その施しは善であり、その善を亡き方に手向け、その善の力で滅罪をしたのです。

また、昔は門の角に、門牌(もんぱい)を作りました。それは門牌でお参りした人に、食事をあげたのです。それも粗供養の意味で、亡き人の善として手向け、罪からくる汚れを除こうとしたのです。

引き物も同じように、亡き方に代わって生きている人が施し(粗供養)をし、善を積んで、亡き方の成仏を願ったのです。引き物は香典の多寡に関係なく、僧侶やお参りに来てくださった方々にする所以がここにあります。

 その善の力が、亡き方の成仏につながっていくのです。

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