ホーム > 法愛 4月号 > お釈迦様の生涯

お釈迦様の生涯

釈尊の願い(123)

イラスト・山中一正

尼僧教団の成立

男だけの仏教教団に
女としての修行者
比丘尼(びくに)の教団ができたのは
仏陀が50歳も過ぎたころではないかとされている

母マーヤーの死後 仏陀の育ての親であったのは
マハーパジャパティーである
彼女は王が亡くなって後 是非自分も出家したいと思い
仏陀の妻であったヤショーダラーと
多くの釈迦族の女たちを伴い
シャカの国から500キロほど離れた
コーサラ国のヴェーサーリーに徒歩でやってきた

女性にとって500キロの道のりは
過酷で足は腫れ塵にまみれた
疲れきった姿で仏陀の住む居室に立ち
出家をこいねがった
常に仏陀のそばに付き従っていたアーナンダが
その理由を聞いて可哀そうに思い
仏陀に彼女たちの出家を三度も願った

しかし仏陀はその願いを受けず
女性を仏教教団に入れることを拒んだ
アーナンダはあきらめず
仏陀を育てた養母の苦労を語り
また女性でも悟ることができることを仏陀に確認すると
仏陀も反対することもできず
いくつかの約束をするならばと出家を許したのであった

八つほどの約束のなかに
男性の修行者に敬意を払うことや
男性の修行者よりも深い反省を課したり
男性の修行者をののしってはならないことなど
男性の心を乱さないことを主にした約束ごとであった
現代では差別的な意味合いが濃いが
当時の社会においては
非常に寛容な約束(戒め)であったと察する

仏陀はこれらの約束を比丘尼が守れば
正法は1000年続くが
そうでない場合は500年に減ずると説いた

徳高いマハーパジャパティーは
その約束を厳守することを誓い
出家が許され
ここに比丘尼の教団が成立することになった