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お釈迦様の生涯

釈尊の願い(101)

イラスト・山中一正

教団としての体裁

仏陀が悟りを開いた初期は
まだ教団の形も整っていなかったので
仏陀のもとで修行をしたいと請えば
仏陀が直々に「来たれ 比丘(びく)よ」
といえば簡単に出家が許された

教団を大きくしていくためには
さまざまな規則がいる
自由気ままに
仏陀は教団を運営したのではない

神々と対話をしたり
あるいは奇跡を起こし
神秘的な力を持った仏陀ではあったが
一方で全く逆の合理的なものの考え方ができた

それは法にも現れ
教団の運営方法にも反映されていった
出家教団の統制規則を作ったり
在家教団の統制規則も作ったのだ

統制規則でも
事があって初めて規則として作られていった

弟子たちのなかには
早く罰則規定を作り
教団を統率していったほうがよいと考える者もいた

しかし仏陀は
隋犯隋制(ずいぼんずいせい)をよしとした

これは犯すに従って制度を作るという意味である

何か事が起こったとき
「それはしないほうがよい」と判断すれば
そのとき規則を作ればよいということだ

やがて組織が大きくなって修行僧が増えてくると
比丘は250戒
比丘尼は348戒と戒めが増えていった

真実は 仏陀は罰則で縛らず
みんなが信頼で結ばれ
自主的に修行に励み
自由に学問修養ができることを望んでいたのだ

仏陀在世のころは
この指針が守られ修行が進んだことであろう
偉大な仏陀が存在したからこそできたのだ